9歳の節・壁を超えて-10歳 人としての基礎が完成する   

1 子供の(親からの)独立開始

 目の色が変わる。心の裡を顔に出さずに、意図的に嘘をつける。大人が子供の眼を見て、常にはその子の心を読めなくなる。

 

 (高浜正伸氏によると)親はウザったい存在になる。「あっち行ってて。一緒に歩かないで。」と子供達は言い出す。家族旅行を億劫がる。男子達は母親からどんどん離れていく。「いけないことはいけない、と、びしっと言い切ってくれる師匠が必要になる。女子達は、5年になったら大人(後輩の女性)として扱われるべきだ。

 子供の心が親から離れていく感じ。もはや親の手の平で踊っていたあの子ではなくなった感じ。だからそれまでに、親達は子供達に、家風・品性・善悪判断の基準及び子供達の命の源:先祖の存在を伝え終っていること。

 

 

2 感情の(親からの)独立開始

(参考「教育」1983.7 p.102「感情は、言語により分化され固定される。言語が、感情を先導するのだ。感情が言語化されるのではない。」)

 

 感情の大枠が完成する。一人前の人間に見える。感情の中身の多様性と、感情表現方法のコントロールが始まる。①喜怒哀楽を基本として、羞恥心・自尊心・慈悲心等日本文化を支えるいくつもの重要な感情を当意即妙に表出できる。②嬉しい・悲しい、怒る・恕(ゆる)す等の対立矛盾する感情の流れをはっきりと意識できる。:感情がその子独自のものとなる。子供の感情が親から独立し始める。だからそれまでの9年間に、母親・祖母・父・祖父達は、子供・孫の前で、素敵な感情表現を演じること。真っ赤な夕日を見ながら母がつぶやいた一言、「綺麗だねえ!」を子供は一生忘れない。「あらあらこの子は可愛いねえ!」と感嘆してくれた祖母の嘆声を孫は生涯の宝にする。「そういうことは許さない。」と決然と言い張った父の強い精神を子供は一生の支えにする。当意即妙の祖父の感情表現を、孫は心深く刻み込む。子供達の前で大人達はあだや油断しないこと。そして時にひょうきんに油断してみせること。

 

 

3 味覚(食習慣)が完成する。

 9歳までにケチャップ・マヨネーズ・バター・チーズにはまった味覚は、二度と味噌・醤油に戻らない、といったのは1971年7月日本で最初のマクドナルドを銀座三越に出店した藤田田氏。ハンバーガー大好きな子供は、9才までに造り上げられると断定しておられた。「味覚のリハビリは、9才過ぎたら難しい」と千葉幕張メッセの研修会で、1人の栄養士が言っていた。9歳までの食習慣が一生の食習慣を決める、とも言う(「おむすび通信」86号)。

 だから9歳までは、マクドナルドは立ち入り禁止。そして10才。始めて入ったマクドナルドで体験する味は、「まずい!」「おいしくない!」「食べられる物がない!」となる。その子の味覚は、完璧に、本来の日本人のそれになった証拠。その子は、「煮る・蒸す・焼く」の和食(その秘密は「旨味うまみ」。イタリアン・フランス・ドイツ・中華料理のすべてに欠けている日本伝統の味の秘密)が大好き。それこそは「原日本人」の平和で伝統的な姿。

 インスタントラーメンも滅多に食べさせないように注意すること。インスタントラーメンは非常食。非常用に味も強くされている。あの味をあなたの子供達の味の標準にしてはならない。大人用に開発されたオロナミンC同様、子供が普段口にすべき物ではない。「非常時の幸せ」を大事に取っておこう。

 

 

4 匂いの記憶は、6才から10才までがピーク。

 匂い関連の記憶の多くは6~10才の昔に由来している。嗅覚は、過去の体験・感情を納めて封印してある箱を開ける鍵だ。匂いは、視覚や聴覚よりも子供の頃の体験を強く呼び起こす。人は子供時代から、匂いにきちんと曝(さら)され「嗅覚トレーニング」を受けるべきだ。M.コニコバ日経サイエンス2013.9月号

 

 「ガス自殺を図った男性が、味噌汁の香りで、死ぬのを思いとどまった。」との報告。母の思い出がよみがえったのかもしれない。嗅覚は感情を揺さぶる。視覚・聴覚・触覚・味覚の4つの感覚は、視床を経て大脳皮質に至る。嗅覚だけは、直接大脳皮質に入る。嗅覚は無意識の段階で、快不快等の情動を引き起こす。匂いはピンポイントで、過去の記憶や感情を呼び覚ます。匂いは無意識に感情に影響を及ぼす。(参考 毎日新聞2005.7.28朝刊第2版)

 

 嗅覚トレーニングとは、清潔でお菓子屋さんのような甘い世界・よだれが出そうになるウナギ屋の煙とともに、早春の青草・田舎の香水や鼻が曲がるような悪臭も体験すること。一瞬でよい。「いい匂いだねえ」「臭いねえ」と親子で語り合った記憶を持つこと。臭いに幅があるとすれば、その幅が広いほどよい、と考えてよいだろうか。少なくとも無臭状態で子育てをしないこと。芳香のみで子供を包まないこと。

 

 驚くべし。花屋の店内。バラや菊など、花々の匂いをなくす努力がされていると木更津市内駅前の花屋さんに聞いた。お客様が匂いを嫌うのだとか。アントニウスを迎える寝室に、厚さ30センチにバラの花びらを敷かせたエジプトの女王クレオパトラが、現代日本の無臭志向を知ったらなんと言うのだろうか。それは「自信(自己信頼)がないのね。」だろうと、私は推測する。

 

 

4' 新生児期・幼児期・小学生低学年まで、聴覚・視覚よりも触覚優位。

 9歳前後までは、聴覚・視覚よりも触覚からの刺激のほうが、より大脳の活性が大きく、脳の広い領域に影響がある。だから、肌と肌の接触や抱っこされおんぶされ、人のぬくもりを感じることは勿論、水遊び・土いじり・粘土遊び・フィンガーペインティングなどを重視すること。見た目の美しさよりも、肌ざわりが優先されるべきなら、すべすべの多彩な色のプラスティック製品よりも、木地のざらざら感があり、木肌が目に優しい木製の遊具が優先されるべきか。(参考「子育てに効くマインドフルネス」光文社刊p.178)

 

 

5 辛い現実に耐える力を内に秘めた感情ができはじめる。

(参考「喪の途上にて」p.102 「死ぬ瞬間」p.222 )

 死の概念が完成する。親族・ペット等の死に際して本当に悲しんでいる。:事実としての悲劇を受け容れる力を身につけていく。悲しみに耐え、感情を統御する力を育み始める。

 自殺できるようになる。日本の歴史上最初の4年生の自殺者は、鹿野渉君。横浜の小学生。30年前のこと。

 いじめによる地獄のような日々を送るよりも、死という平安を求めることが可能になる。生と死を相対化出来るということ。学校関係者ははっきりと認識されているようだ。

 キリスト教と違い、日本仏教は、弘法大師空海の6ヶ月に渉った成仏行の通り、絶食による終わり方を排しない。出羽三山「湯殿山」一帯の即身仏達は、弘法大師の最後を自ら再現しようとしたのだ。

 対照的なのは、2年生前後までの孫達。彼等が祖父母の死=通夜等に当たって、実に嬉しそうに振る舞うのは、よく観察されること。事態の深刻さを全く理解していない。親戚のおばさん達に囲まれて嬉しくて仕方がない。死と全く無縁の幸せな子供達。

 

 

5’ 嬉々として悪をなし、悪への好奇心を乗り越える2年生達

 2年生の子供達が、イナゴ達をペットボトルに入れて、火に投じて大喜びしている姿(映画DVD「里山の学校」桜映画社刊に活写された。)に、「なんてことをするの。止めなさい!可哀想でしょ。」と反応する大人達がいる。少女時代、蟻やイナゴ・蝉など触ったこともない方々? アリたちを潰したり、トンボの羽をむしったり、蛙のおなかをなでなでして破裂させたりしたことが一度もない方々。実際には悪いたずらをしていたのに、すっかり忘れてしまっている方々。生まれてこの方、自分は悪いことは一度もしていないと信じ込んでいる方々が、子供達の倫理観の基準形成を邪魔立てしている。

 

 子供達が元々持っている好奇心。その好奇心による他愛のない「攻撃性・残虐性・破壊衝動」が、蟻や蚊やゴキブリ、そしてイナゴや蛙・トンボ・蝉たちに対する悪事の発現・発露によって、(後味の悪さを伴いながら)9歳前後までに消化され、緩和されていくことは、昔から大人達が知っていたことだ。

 「倉橋惣三『児童心理』講義録を読み解く」株式会社萌文書林刊2017年6月初版第1刷64頁に「大人から見れば悪と思われても、自然のふむべき道を通っているということは意義あることである。」「虫を殺したいとき、やんちゃをすべき時には、やんしゃをやらせて、さっさとその時期を通る。もしそれをためておくと、後によくない。」とあった。

 

 青年期における残虐犯罪の根は、(幼年期に悪を全くなさず、実体験により、正邪の分別を身に着けることなく)9才の節を順当に超え損なった少年達の心に、すでに9才以前に作られているという指摘は、原田正文氏らによって発表されて久しい。子供達が元々持っている「他意なく悪をなす可能性」-嘘・盗み・破壊・意地悪・裏切りなどーは、アリやイナゴ・親兄弟・友達・先生方を踏み台にして、何度も恥をかきながら、修正制御されていくのだ。

 

 静岡県出身の1人の男子大学生(20歳前後か?)が、東京の親戚の家で1匹のゴキブリを発見してパニックになったというお話―10年以上前何かの雑誌で見たーは、この国の子供達の野生性が崩壊している実態の一端を示しているに過ぎない。笑って済ませられることではない。彼の母親か父親が息子に対して、1匹の虫にも冷静に対応できない幼児性を固着強化させてきているということだ。

 

 

5” 子どもの欲望を、先回りし、満たしてしまってはいけない。

     それは、欲望が生まれる前にその欲望を押し殺すのと同じ

                  (参考「毎日新聞」2005.11.16朝刊第2版)

 欲望は何かが欠けたときに生まれる。その不足を満たすのに大切なプロセス。それは、子ども本人がその欲望を明確に感じて、「満たされたい」と意志すること。欲望は満たされるためにある。が人はその欲望を満たしながら、自己原因性感覚=主体性を身につける。保育士・親たちによって子供達が、常に「いつの間にか満タン」状態は、その子を意志なきロボットにする。

 

 争いや葛藤状態、子供達の喧嘩や行き違いは、人を信じ、そのトラブルの調整に見通しを持っている子供達の世界では、何も怖くない。混乱も混沌も、誰かが引き、誰かが譲って、きれいな秩序を復活させられるという経験を子供達にしっかりと提供すること。大人による先回り、介入はこの復元力の学習機会を削(そ)ぐ。勿論「切れた」場合は、介入が必要だ。2歳前後と2年生前後の喧嘩・諍いは「切れた」らストップ。本人もストップされて「ほっ」とする。

 争いや葛藤を避けようとしての大人の先回りは、9歳までは禁物。子どもの個人的な復元力、仲間の中での調整能力を体験学習させよう。危険回避能力と同じ。実地体験が必要な学習がここにもある。 

 

 

6 接続詞の用い方が完成する。(参考「文章読本」井上ひさし著 新潮社 p.81)

 自宅付近の鳥瞰図を描ける。自分・世界を客観化できる。自分・世界を客観化する力と接続詞を使いこなす力は、セットになっている。「論理を接続させ、また逆転させ、時に対比させ、時に累加することを予告する」接続詞。

 

 

7 無口になる(参考「小中学生の発達と教育」p.103・108・178)

 子供は相対的に無口になり、無邪気な発言や振る舞いをしなくなる。

 権威から平等性(内的な普遍的論理的原理)へ判断の基準を移し始める。

  非行少年たちは、因果関係を推論できない。抽象的・論理的思考力の未熟さは、幼児のような自己中心性としてその行動に現れる。検問中の警察官にオートバイで突っ込むことができる。少年らは警察官が逃げると思っている。警察官たちはオートバイは当然止まると思っているから、逃げない。

 

 

8 感情の揺れ・爆発を抑制でき始める。

 道端で苦しむ野生生物を「助けてあげて!」と言って動物病院に連れてこなくなる。(竹田津実2009.12子供の本棚巻頭エッセイ):野生動物への端的な感情移入をしなくなる。「苦しむ動物を可哀想」と思いつつも、冷静でありうる。

 

 人種による差別的な偏見を変えられなくなる。

(斉藤環2010.4.11毎日新聞朝刊第2面):価値判断の基準を変えられなくなる。客観的な認識力と主観的な偏見が共存し始める。

 

 

9 願望と現実の区分

 写真のような写実画・立体画を描けるようになる。素描に関心を持てる。:自分の願望・主観とは全く別の客観的な現実を受け容れられる。理科に興味を覚える臨界期9-10歳)(日本物理教育学界2007.9.10)

 

 サンタクロース・あの世・地獄を疑い始める。:事実と願望・虚構の違いに気づく。

(9歳までに戒律としての宗教=殺すな、盗るな、騙すな=に触れることの重要性。)

 科学と信仰・科学と超常現象・創造性と神秘性がいったん分離し始める。分離体験を経て後、科学の先端に至って人は、科学者でありながら、神や仏の存在を受け容れることが出来るようになる。「最先端の科学者たちは、全員が無神論者である」との受け止め方は、敗戦日本の民主教育の素朴な誤解である事は、海外の学会に出席した者が最初にぶち当たる現実。神の存在を前提にして研究を進め、ノーベル賞を受ける方々がいるということ。アメリカ大統領は、牧師の立ち会いの許、神に向かって、「宣誓式=戴冠式」を行っている!「神・仏を信じる者達は愚か者」と思い込むことの危うさに気づく時が来た。

 

 

10 空書きができる。(参考「教育の方法」岩波書店 p.117)

 糸・月・口で作れる字は何かと問われて、ひざ上や空中に指で「絹」と書ける。

 

 

11 抽象性・普遍性を具体性・個別性より優先させられる。

 抽象的な思考が可能になる。必要により、見えるものを無視し、見えないものに注目できる。重心(その物体の重さの中心という意味とその物体の重さのすべてが集中している一点と見なしてよいという意味がある。)・生物分類(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類=類的な自己再生産つまり赤ちゃんの作り方のみに注目し、羽があるかとか水中に住んでいるかとかを無視するとこの様な分類ができる。)

 

 記号を実体視せず、記号として操作できるようになる。3αーα=2α・・・「3」?

 ディベートで自己の立場を反対の立場に転換されても、即、逆の発想に耐えられる。3年生には不可能。

 5の「生死の相対化」を支える思考法の1つが、、ディベートの力であろうか。

 

 掛け算・割り算を理解できるようになる。5人/組×3組=15人

 時計の針を正確に読めるようになる。:場合によっては、「目に見えないことが見えることよりも重要だ」と判断できる。体験上納得できないことでも、論理的に証明されたことは受け容れられるようになる。人情・常識・法律に従い、公正さ・平等性・自尊心から、自分自身には個人的に損になることでも、受忍できるようになる。

 

 この判断方法は、ディベートや数学や外国語による作文(会話では不十分)などによって鍛錬される思考・論理の一貫性に支えられて、「総論賛成、各論反対」「部分最適優先、全体最適後回し」等の支離滅裂行動を排除してくれる。つまり9歳以降の数学・外国語教育やディベートのレッスンが、9歳の壁・節を踏み越えるために大切であることは明らかだ。

 

 ゲーム・ケータイ(・スマホ)は、9才過ぎ迄触れさせないこと。子供達にケータイを与える前提条件は、「今やるべき事の優先順位を付けられるようになっていること。」計画に従い、衝動を抑えられるようになっていること。古荘純一「日本の子供の自尊感情はなぜ低いのか」光文社新書

 

 

12  見えないものが見えてしまう。勘がよい。

 図形問題で問われる「補助線」が自然に見えるようになるかどうかは、10歳くらいまでが勝負。「見える力をつけるためには、ドリルをどれだけやるかよりも、体全体を使ってイメージする経験を豊富にすること」だ。そのためには、思いっきり、屋外で遊びこみ、走り回って「ケンカしても仲直りできる力、つらいいことや嫌なことがあっても乗り越える力」「根拠のない自信のようなもの」を9歳までにしっかりと身につけておくべきだ。高濱正伸「伸び続ける子が育つお母さんの習慣」青春出版社

 

 

13 誰かのロボット(将棋の駒)ではない、「将棋の差し手」として生きたいと思う。

 メダカのような従順さに快感を覚える段階から、自己の独自性を求め主張するようになる。

 他の人と同じ自分に耐えられなくなる。:自己の独自性を求め始める。双子の兄弟が、おそろいを嫌がり始める。

 権威(親・先生)より道理(論理性)を大切に思うようになる。:自己の独自の判断基準を求め始める。

 親が言うとアウト。4年生以降の子には外部の第三者が必要。良い師匠には素直だ。(高濱正伸「子供に教えてあげたいノートの取り方」P161実務教育出版):親の支配から脱したい。

 

 親に対して秘密を持てる。「これは秘密だよ。お母さんにも誰にも言ってはいけないよ。」と姉に言われた妹が「お母さんこれは秘密だよ。『お母さんにも誰にも言ってはいけないんだよ』っておねえちゃんが言ってたよ。」と言ってしまうのが1・2年生。:4年以上は親の支配から脱したいと願い始める。秘密を持つことは、親から独立する人生の第1歩となる。

 

 

14 身体の中での大脳・論理の独立性を生き始める。

 情緒や感情に根ざした外言(口頭表現)の外に、内省を経た論理的な内言・思考(書き言葉になる。)が可能になる。:口で何かを語りながら、同時に先のことを考えられるようになる。意識的統合的な書き言葉を使うようになる。:繰り返しや矛盾がない明快な論理性を持った文章を作れる。(桜井邦朋「日本語は本当に非論理的か」P13/32祥伝社)

 

 

15 空間認識の臨界期

 8歳が小脳(空間認識と運動制御)の発達臨界期。生活体験と外遊びが有効。ナイフ・ヒモ結び・穴掘り・スキップ・でんぐり返し・木登り・斜面凸凹遊び・異年齢集団体験等ひたすら仲間と遊ぶこと。4~8歳の男子は大人男性から男性特有の空間認識の方法を学ぶべきだ。黒川伊保子

 「空間認識力をつけるには、外遊びこそ最高です。」「何もない野原や河原で遊べるのが本当の遊びです。」「子供達だけで、異年齢で外遊びができれば、一番理想的です。」高濱正伸「伸び続ける子が育つお母さんの習慣」青春出版社

 

 

16 興奮集中・抑止制御の基本が完成

 正木健雄先生は10歳くらいまでに遊びなど(折り紙・かくれんぼ・虫取り・分解・読書・喧嘩など)(逆にゲーム・ビデオ・テレビは子供たちを受動的な指示待ち人間にする。)を通して、食いついたら離れないくらいの集中と興奮を持続させる熱中体験が、大脳の発達を促すという。

 

 興奮と抑止という背反する力がともに十分に発達していない子供は、抑止の力が未発達と言える。重要なのは、熱中体験を通して、脳の興奮を持続させる機能が先に発達させられてのちに、抑止力がついてくるということ。

 抑止の力を最初につけることは不可能だということ。それは抑止力ではなく無力感の学習だということ。興奮を抑える学習は可能だが、抑止=無力感を有能感・興奮に移行させるのは、困難だということ。

 いったん興奮すると抑えが利かない、ちょっとしたことで切れてしまう、泣き始めると泣きやめないなどの制御困難状態は、10歳くらいまでに一心不乱に遊び、食いついたら離れない集中力を発揮し、運動神経と感覚神経をとことん研ぎ澄ませる毎日を送る子供たちにはあり得ない。

 脳が持つべき抑止力を引き出すには、熱中して遊ぶ体験が大切だ、と正木先生は言われる。先生は2015.7.19逝去。85歳。40年に及ぶご指導に感謝。

 

 

17 人生判断の基準・人生の原風景を持ち始める。

 人はその死を予感したとき、無垢且つ幸せいっぱいであった、自分の少年時代を思いだし、そのときの原風景を再確認したくなる。

 そのことは、京都大学「こころの未来研究センター」広井良典教授が「人口減少社会のデザイン」(東洋経済刊2019年)159ページにご指摘の通り、アメリカインディアン・日本人に共通する心象風景だ。人には、「自分が生まれ育った場所を、死ぬ前にもう一度見とどけたい」という「人の心に根ざした普遍的な願い」があり「魂が帰って行くべき場所」は、「生と死がふれあう場所であり、生と死は連続している。」p263と広井教授は言われる。

 生から死へとぴょんと跳ぶときに支えの棒になるのが、人生の原風景。我が人生を貫き最終ステージを支える原風景。里山の風景こそは、日本伝統の原風景であったし、今の子供達にとっても、70~90年後に味わうであろう風景は変わらないであろう。この30年、1500名を超える死者を送ってきた田舎の寺院住職の実感。呆け状態は、その生と死の中間状態だと言ったのは、石川啄木だ。

 

 9歳で日本人に特有の「虫の音に耳を澄ませ、虫の音を騒音と思わない」左脳(日本語を母語とする人達は、本来言語脳である左脳で虫・鳥の鳴き声や人の感情音声を聞き分ける。)が完成する。(「日本人の脳」角田忠信著大修館書店刊1978年)(左右の脳をつなぐ梁腺が、日本人は他民族に比して太いらしい。一般に女性の脳梁は、男性よりも太いと言われる。):これは日本人の感受性の根っこにある才能であり、人生判断の基準の根っこにある感性だ。これは外国語教育開始の前提条件となる。

 文科省が英語教育を5年生から本格化させているのは、適切な決定だ。日本人としての文化的精神的な独自性・自己同一性の基礎があなたの子供の心にできるまで、本気で外国文化(虫の鳴き声をバグ=雑音としか聞けない感性)を注入してはいけない。その人の母語が日本語か否かの判断は、秋の夜の虫たちの声を聞かせれば分かる。

 

 8歳にして英語をすらすらと話し、英文を読み解く日本人の子供を羨ましがってはいけない。彼が一生に渡って、日本人になりきれない自分をもてあまし続ける苦しみを、哀れみ同情するのみだ。

 小・中・高とアメリカに送って帰ってきた息子が、アメリカ語は堪能だが、全く日本語を受け付けない人になってしまっていた。彼はもう日本人ではない。通訳を介する「親子の会話」。その親の当惑は絶望的だ。何のための外国語学習だったのか。親たちはその子供をアメリカ人にしたかったのか。否!日本語とアメリカ語学習の開始時期を間違えた。何でも早ければよいと、勘違いしたのだ。その子は永久に、日本人としての原風景に触れることなくその人生を終える。「なんということだ。」と両親は思われるだろう。私も思う、心からの同情を以て。

 

 

17’ 早期英語教育 カナダ移住の子供達ー9歳以降が有効との研究結果

 2019年6月22日、ついに、NHKは幼児の早期英語教育に警告を発した。

 ①バイリンガルの子とモノリンガルの子の語彙数の総計が同じであること。従って、日本語と英語を同時に学習した子の語彙数が、日本語だけに特化した子のそれに比して、それそれ半分ずつになっているという調査結果。

 ②カナダに移住した子の年齢が9歳以前か、以降か、での驚くべき違い。9歳以降に移住した子らは、元の母語がしっかりしているので、新しいカナダ英語にしっかりと対応できる。が、9歳以前に移住した子らは、母語も不十分であり、新しいカナダ英語も曖昧になる、というレポート。参加者達の中で、9歳以降から英語を始めて、うまくいった母は悠然と構えており、2歳児に英語をしつけようとして、「お母さん怖い!」と拒否されていた母は、愕然とされていた。お気の毒。

 ③発音のネイティブ性についても,こだわる必要は全くなしと断じていた。発音がアメリカ風かオーストラリア風か、イギリス上流階級風かよりも、発言の内容が重要であることは、戦後ずっと言われてきたこと。早期英語教育熱に感染しないように要注意。

 

 

18 時系列に添って物事を羅列する文章の段階から、一つの結論を目指し、全体の構成を考えて物語を作れるようになる。読書感想文を書けるようになる。:常に自分の評価の基準を意識できている。我が人生を貫き、最終ステージを支える原風景をイメージできている。

 

 

19  無意識レベルでの自己イメージ

 (積極的:消極的・朗らか:沈鬱・楽観的:悲観的等の基本姿勢と共に何を好ましく思い思わないかの判断基準・感受性)の源像=原点ができあがる。子供が無意識のうちに選ぶ母・父・祖父母などのイメージが意識の底深くに引き継がれていく。その自己イメージは思春期・青年期の新たな体験によって試され、揺さぶられた結果、大変化・大逆転を遂げることがあるが、9才以前の通奏低音は消えない。選択するのにも変化し時に逆転するのにも、一貫して彼の判断を支える軸足が必要だからだ。

 

 「子供達の無意識つまり心の深層が絵に現れる。」と言われるのは森本邦子氏。「絵を描く筋肉の動きが、その子の感情や気分を」反映している。「力強いイキイキした線、弱々しい薄い線、大きすぎる絵、小さすぎる絵」など。子どもの無意識の奥にあるものが、絵に表される。「子どもの心は、言葉で表現できるレベルを遙かに超えており、象徴的に絵画として表現される。」「子供達は見える物を描いているつもりで、自己の心の内を表現している。」森本邦子「脱引きこもり」p24角川SSC新書2009年5月刊第1刷

 

 

20 世間を信じ、世間と共に生き、世間から信頼される人になる。

 「自分は生まれてきて善かったのだ。」と確信できる。(参照・大阪府県警本部刊「少年補導」1983年)

 

 自己肯定感=自己信頼の完成。家族・縁者・先祖を受け容れる。家族・先祖への感謝・献身等の責任感の原点が完成。だから、この日が来るまで、母・祖母達は、折に触れて、「おまえが生まれてくれて嬉しいよ。」とささやき続けるのだ。この様な「くさい」「余りに素朴な」「時代がかった」「19世紀文学のような」言語表現を、真っ正面から素直に心の底まですうっと受け容れられるのが、9歳までの子供達の心なのだ。

 このあと20年間の試行錯誤の青年期の日々のあと30歳台になって、人は「自分は世間・家族に貢献できる人間かも知れない」と思えるようになる。その原点が9歳。両家の祖父母達からの期待・感謝を聞かされていた9歳。

 

 

9歳の節・壁―小脳刈り込み終了。

(12歳大脳=前頭葉刈込完成。)

 

1 幼児から学童になるとき。昔の教員は「2年生までは幼児」と言っていた。

2 聾学校の教員達は、昔から「9歳の壁がある」と言ってきた。

(東京教育大学付属聾学校 萩原朝五郎氏)

3 昭和46年(1971年)度の教科書使用開始から、「3・4年生の脱落者が激増」し始めた。

4 昭和60年(1985年)頃、高垣順一郎(当時)大阪電機大学教授(現立命館大学)が、少年院に入ってくる少年達の知的なレベルが、小学校3年生程度で止まっているとの論文「現代非行の特質と学力問題」(「現代と思想」56卷)を発表した。

 曰く、貧困等の物質的な劣悪環境が、直接に少年達を犯罪に赴かせるのではない。環境の劣悪さが、少年達の養育をになう親達の敗北感・無力感・世間に対する敵意と相俟って、少年達の「知情意」の成長を9歳以前にとどめてしまい、更には「自分は生まれてこない方が良かったのだ」という自己否定・自己放棄・絶望感を子供達の胸中に胚胎させてしまった結果が、少年非行という悲劇だ。(少年院の教官としての体験から、高垣論文は生まれた。)

 

5 昭和60年(1985年)頃、「成熟拒否―大人になれない青年達」山田和夫著 新曜社刊

 「思春期挫折症候群」稲村博著 新曜社刊が相次いで出版され、少年達の惨憺たる内面が、絵に描いたように解明された。

 これらの文献が、木更津社会館保育園の保育設計に重大な影響を与えた。

 

6 平成14年(2002年)子育て支援事業のバイブル

              「子育て支援とNPO」原田正文著 朱鷺書房刊。

 1997年神戸14歳の中学生による殺人事件、1998年栃木県黒磯の中学生による妊婦教諭殺人事件、2001年大阪教育大付属池田小学校の殺人事件等を承けて、「彼等の犯行の原因は、遙か以前10歳までに出来上がっていた。突然事件を起こす『いい子たち』は、3歳頃から『素』で生きることを知らず、『いい子のお面』を被り、『いい子』を演じていたに過ぎない。」と記す。

 1993年には自らまとめた「大阪レポート」を承けて、「育児不安を超えて」朱鷺書房刊で、自らの精神科外来に集まる思春期の子供達の問題の淵源を、9歳以前の幼児期、「自発性」と「良心」の涵養の失敗にあったと書いている。

 

7 「10歳までに『朝のトイレ』を習慣にする」という家があるらしい。

 平成23年(2011年)5月23日電話で宮崎栄樹は、日体大の正木健雄先生から「自律神経系は18歳で大体完成していた。それが今非常に危うい。」と伺った。

 平成16年(2004年)「人体常在菌のはなし」青木皐著 集英社新書P78に「10歳までの教育の内、最も大事なことの1つが排泄」とあり、感性研究で有名な黒川伊保子先生の「子どもの脳の成長と排泄の関わり」なるインターネットの文章中に「(学校の先生には悪いけれど、)遅刻よりも朝ごはんとトイレが大事」という黒川家家訓が記されていた。

 自律神経系の2つの柱の1つ「副交感神経は、栄養素を吸収する大腸内にいる100兆個の大腸菌等腸内細菌の活躍に支えられている」というのは、順天堂大学小林弘幸先生。

 文部省が勧める「早寝・早起き・朝ごはん」は、「トイレ」を外しているが正確には「早寝・早起き・朝飯・朝便」のことであった。情緒の安定・集中力・根気・理解力は自律神経系のバランスあってのことなのだから。

 

8 免疫寛容(免疫力が高まれば、虫刺されの害を受けても身体は、寛容をもって反応できる。)「虫刺されやかぶれ」は強めのステロイドで、早めに直すべし。市販の虫よけ剤のDEET"は毎日の使用が厚労省によって禁じられていると今井博之先生は言われる。

 「小学校4年生(9才)以上になると、蚊に刺されても、直後はプクッとはれて、かゆいものの、翌日にはましになり、大人と同様の反応に落ち着いていきます。」「蚊に対するアレルギー反応は、子供の時期にたくさん経験しておかないと、後でツケを払うことになります。」「何万回も刺され続けていくうちに免疫寛容が成立し、加齢とともに反応が鈍くなってゆくのです。」漆職人と同じ。今井博之先生。『小さい仲間』2013.9月号48頁。

 

 性ホルモン=テストステロンの分泌量が、9歳から急激に増えて、15歳でピークに達する。テストステロンは男子の睾丸、女子の卵巣で生産される。男子のほうがその分量は多く、声変わりやひげ等第2次性徴の原因となる。暴力性・攻撃性・支配欲を強める機能を持つ。

 小学校高学年から中学2年の時期の男子達が、自分でも理由がわからず、「むかつき」親達や教員達に、反発反抗したくなる自分を持て余す現象は、関係者が冷静に受け止めるべき、子供達の正常な成長過程だ。女子でもテストステロンの値が高い人は攻撃的になる。

 自己の暴力性や攻撃性をを抑える「ブレーキ機能」は前頭前野が受け持つが、その成熟には30歳前後を待つことになっている。30歳までの青年期とは、その「ブレーキ」の効きはまだ悪い時期だと承知しておくべきだ。

 この間、安心ホルモンである、セレトニンの分泌を促すために、日光に当たり運動をすることは、とても大切なことだ。思春期問題を解決するために、集団の屋外活動はとても大切なのだと承知しよう。中野信子先生『人はいじめをやめられない』小学館新書82頁

 

10 常識 杓子定規の法律解釈のレベルから

               寛容と常識による「法律の運用」へ

 

 可罰的違法性(違法でも罰を与えるべき事、与えるべきでない事がある。)

 

 札幌 北海道大学の東キャンパスにあった大講堂で、55年ほど前、私は北大教養部の文類(教育・文学・法学・経済学部合同)1年生として、法学部長畠山教授の法学概論を受講した。彼は「法律学の基本は常識である。」と切り出して、明治43年(1910)年10月11日の大審院(現最高裁)判決「可罰的違法性」について語り出した。

 

 1人の農民が、自家製の葉煙草の数枚(当時の価格で1厘)を供出せず、自家消費して逮捕され、窃盗の罪で裁判に付せられた。この裁判は 1人の弁護士の努力によって、大審院にまでもつれ込んで、遂に無罪判決となった。あれから110年、今でも有名な判例となっている。

 

 無罪判決の元になったのが、「可罰的違法性」の考え方。それが電気であれ、水であれ、お金であれ、人のものを盗めば、泥棒は警察に逮捕され、訴えられ、処罰されることは誰でも分かっている。

 が、大審院は、「零細な違法行為は、実体法上犯罪に当たらず。」とし、盗むという違法行為も、裁判所によって罰せられるべき罪と、罰するに値しない罪がある、と判示し、「1厘の葉っぱ泥棒行為は、罰せられるべき違法性を帯びていない。」とした。

 

 それが何であれ、刑法に触れる行為は全て、警察等によって処理されるべきだという考え方は、「杓子定規」といい、非常識という。まさに「杓子定規」は人工知能が得意とする論理的で一貫性がある考え方だが、その考え方・能力が、立ち往生し、破綻し無効になることがあるのは、人工知能君にはお気の毒。

 

 畠山教授は、「君たちは、常識を以て法律を『運用』しなければいけない。」と語られた。

 

 その常識の基本が、9歳までにできあがると私は考える。

 

 お昼ご飯の時、汁をこぼしてしまった5歳の子供を、即「何やってんのよ。」と叱りつける先生がいる。

木更津社会館保育園では、先生はたとえ気づいても、すぐ動かない。その子と一瞬、目を合わせつつも、黙って本人が雑巾を持ってきて始末をするか、仲間達がすっと立って雑巾を持ってきて拭いてあげるのを待つ。全てが元に戻されたとき、先生は、失敗した子ともう一度、目を合わせてニコッとする。勿論、本人が動転して立ち往生した場合は、仲間の援助を促すか、先生自身が立ち上がることもある。

 

 いかなる失敗にも原因があるとしても、うっかりミスの存在を知っている子供達・保育士達は、仲間・子供の1つ1つの失敗を責めること、本人の面目を潰すことをしない。小さな間違いや、トラブルを殊更、誰かの責任にして「一言謝らせる」ようなことをしない。

 これは、「優しさ」「親切」「寛容さ」というものだ。1厘泥棒のささやかな「出来心」を責めない常識が、ここに養成されている。そもそも子供達は、失敗を恐れず、平然と乗り越えるべきなのだ。仲間達も、仲間の失敗を以てその子の評価を変えるような習慣を持つべきではないのだ。

 総じて、誰かとの葛藤状態に置かれたとき、そこに人からの「悪意」「敵意」を全く感じない感受性を養成しておくことはとても重要だ。2歳の時の強力な葛藤耐性(葛藤に耐える力)を原点に、9歳までに、いかなる事態におかれても「楽観性」・「自己信頼」・「希望」を失わない品格を子供達は身につけておくべきだ。

 

 この「ルールの運用」能力は、人生を通して、失敗からの復元力・人様からの心ない誹謗中傷にめげない自己信頼・自信喪失状態におかれてもわずかに残る根源的な有能感からの再出発を可能にしてくれ、時にその後の波瀾万丈の人生をさえ生み出させてくれる。

 

 子供達は、時に失敗をしでかし、時に病気になり、時にケガをし、喧嘩をしながら、人への思いやり、寛容さを身につけなければならない。その意味で、完全な大人の監督管理状態、いわば、刑務所のように完璧な平穏状態が、子供達(2才以上児)の成長学習環境として相応しいかどうかは、今でも保育所・幼稚園関係者にとって重要な議論のテーマだ。

 

2020.1.31

 

 

 

2017.12.16の追加 5’「子供たちの悪」を倉橋惣三先生が是認されていた。

2017.12.20 の追加 1 「高濱正伸の10歳からの子育て」(総合法令出版)P83に家族 

           旅行の賞味期限は9歳、との指摘あり。

2019.6.30の追加  17’「NHK子育て番組」9歳以前からの早期英語教育に警告

2019.7.1の追加   4’ 9歳頃までの触覚重視を「マインドフルネス」の考え方から推奨。

2019.12.24の追加   4 五感の中での嗅覚の優越性。5”欲望充足ー大人の配慮。

2020.1.20の追加  19 5・6歳の幼児の無意識の心の健康診断は絵画によって可能。

2020.1.30の追加  5 小4 鹿野渉君のこと。

2020.1.31の追加  追補10 涵養と常識に気づく

2020.2.12の追加  本文17 生から死へ移るとき、原風景があると良い。

2020.3.21の追加  17 子音ではなく母音が優越する日本語=日本人の脳の特徴が

            遺伝子情報によらず、生育環境によっているという指摘。

            竹村公太郎氏による。

 

以上 1983(昭和58)年11月21日からの蓄積です。まだ増えます。お楽しみ!

 

 

宮 崎 栄 樹